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聞き書き宇仁館の記憶 3 付 戦後のパンフレット [伊勢の風景]

聞き書き宇仁館の記憶 3 付 戦後のパンフレット   

 戦後に発行された宇仁館のパンフレットを入手しましたので、紹介します。画像をクリックすると拡大します。原寸はB5版です。

宇仁館チラシS30012.jpg

宇仁館チラシS30022.jpg
 表面に「近畿日本ツーリスト」とありますが、この名称になったのは昭和30年です。また、裏面地図中に「山田駅」(国鉄)とありますが、現在の「伊勢市駅」に改称されたのが昭和34年です。(いずれもウィキペディアより)従ってこの間に発行されたものだと考えられます。
 以下、宇仁館経営者の末裔の阿竹満裕様からお話しを伺ってきました。(聞き書き宇仁館の記憶1 2 と重複する内容もあります)

宇仁館

・空襲での全焼は免れた。
・館内にエレベーターが設置されていた。
・主に修学旅行生を対象に営業をしていた。
   筆者注:パンフ表面の御宿料も小学生から
書かれています。
・宇仁館食堂も併設していた。


別館弥次喜多楼(花月園)
・宇仁館本館の西隣にあった。(表面写真では右側)
 
千秋楼
宇仁館・弥次喜多楼・千秋楼の中では最も格が高い旅館であった。
・空襲での被害はなかった。
・瀟洒な作りで、釘隠しなども良質の部品を使用していた。

グリル宇仁館
宇治山田駅前の伊勢市観光文化会館の全身を「伊勢会館」とい
った。
   筆者注:昭和28年10月会館・昭和45年6月解体式
            (『伊勢市史 現代編』より)

・その西側(明倫商店街側)に「グリル宇仁館」があった。
・鉄板焼、ハンバーグなど洋食を出す店であった。
・観光文化会館建設にあたり、用地を売却した。

※ 筆者注
☆扶侶夢様よりコメントを頂きました。それをブログ本文に転載します。
 「『グリル宇仁館』の名前を今の時代に耳にするとは…懐かしくてついコメントを書いてしまいました。
 父が贔屓にしていて店のオーナーとも親しかったので、私もよく連れて行って貰いました。私が初めてステーキを食べたのが「グリル宇仁館」で、すっかり好物になってよく父にねだったものでした。洋食専門のようでしたが実はラーメンが隠れた逸品で、和風だし中華そばが主流だった当時としては斬新な鶏がらスープでした。 」

 とても貴重なコメントをくださいまして、誠に有り難うございました。

取材協力
名古屋市一社「ダイニングバー すし八丁」
店長 阿竹満裕様
応援ブログ http://sushihattyou.blog.so-net.ne.jp/ 

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十五楼 [伊勢の風景]

十五楼  

 尾上町にあった旅館「十五楼」を紹介します。

更新履歴
 平成22年12月 8日 現在の様子・庭園 追加
 平成29年 8月20日 奥庭 追加

旅館(勅使齋館)十五楼 (電話長五六)
十五楼.jpg
『宇治山田市及鳥羽町付近新地図』明治44年12月28日発行
(画像をクリックすると拡大します)

 野村可通『伊勢の古市あれこれ』によると、十五楼は通称「五二会道」のすぐ南(jyugemu注古市街道から青葉台団地に上がる道・現在の三重県真珠のあたり)にあり隆盛を極めましたが、大正期に衰退し再興を図り一誉坊墓地北側に移転しました。しかし、再建がかなわなかったそうです。
 写真の掲載されている『宇治山田市及鳥羽町付近新地図』の尾上町の説明文には「虎尾山山上に五二会ホテルあり、山下に勅使齋館なる十文字屋あり」とあります。井沢武『伊勢みやげ旅寝之友』(明治23年)には「十文字屋(黒部かね)は十五とて第一位の上等旅館にして、毎年、御勅使の宿泊所なり、国道の右側にあり」とあります。また、坂本広太郎『伊勢参宮案内記』(明治39年)には「十五楼 勅使参向の定宿、清潔な上品なことは、何よりの証拠」とあります。従って、元は「十文字屋」と称していましたが、明治中期以降「十五楼(勅使齋館)」と呼ぶようになったようです。尾上町在住のO様のお話では、戦後もその場所の建物を「齋館」と呼んだことがあったそうです。
 門柱右側奥に写っている建物が五二会ホテルだと思われます。
 現在の様子を紹介します。(12月8日 写真掲載)
NEC_0003.JPG
平成22年11月28日jyugemu撮影

次に庭園の写真を紹介します。
伊勢山田旅館十五楼庭園 (長電話一五六番)
十五楼庭園.jpg
(画像をクリックするとほぼ原寸大に拡大します)
 電話番号が三桁になっていますので、先に紹介したものより新しい時代のものです。
(12月8日追記)
11月28日尾上町のO様に現地をご案内いただきました。この写真建物奥の石組みは、現在も残っているものによく似ていました。

平成29年8月20日追記
新たに奥室の絵はがきを入手しましたので掲載します。
伊勢山田旅館十五楼奥室 (長電話一五六番)
十五楼奥室.jpg
原寸 縦約9㎝×横約14㎝
上記の庭園と同じ表記ですので、同じ時代のものかもしれません。

参考文献
野村可通『伊勢の古市あれこれ』
       昭和51年3月 三重県郷土資料刊行

井沢武  『伊勢みやげ旅寝之友』
       明治23年4月 川島文化堂
坂本広太郎『伊勢参宮案内記』
       明治39年11月 交通益社
※『伊勢みやげ旅寝之友』『伊勢参宮案内記』は国立国会図書館『近代デジタルライブラリー』にて閲覧をいたしました。 

取材ご協力
伊勢市尾上町在住、尾上町の歴史研究家 O様


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宇仁館別館 千秋楼 [伊勢の風景]

宇仁館別館 千秋楼 

※平成29年8月10日新たな絵葉書を入手しましたので加筆します。

 八日市場にあった宇仁館別館の「千秋楼」を紹介します。このページの絵葉書をクリックするとほぼ原寸に拡大します。今回は、アプリ「伊勢ぶらり」を使用してみました。(詳細はこちらをクリックしてください)古地図と、現在地との比較が容易で、歴史探訪にはとても便利なアプリです。
 宇仁館発行のチラシには、「同(筆者注:宇仁館)別営千秋楼八日市場に有り。(外宮より西4丁)料理兼営にして関西に有名なる大建築にして、大広間二百畳敷・百畳敷きを始め大小十数室を有し、庭園には樹木多く幽邃閑雅にして離れ座敷より四時花の眺め良く、常に各大臣陸海軍の将星を始め貴紳の御来宿を賜う。(筆者により適宜旧漢字を改め、句読点を付しました)」とあります。

庭園より座敷を望む 千秋楼玄関
千秋楼01.jpg

千秋楼庭園の一部
千秋楼02.jpg
(以上2枚は絵画研究会印刷)

千秋楼亀の間(百畳敷)
千秋楼03.jpg

西離座敷及庭園 中庭より鶴亀両大広間を望む
千秋楼05.jpg

奥庭茶室   離座敷松竹梅の間
千秋楼04.jpg

伊勢山田割烹旅館千秋楼庭園
千秋楼06.jpg

現在の様子(平成26年1月11日撮影)
DSC01243.JPG
伊勢理容美容専門学校付近から網谷病院方面を望む

平成29年8月10日に入手した絵葉書を紹介します。

たとう
千秋楼30.jpg
千秋楼玄関
千秋楼32.jpg
 玄関の形が上で紹介したものと改造されています。『写真集 明治大正昭和 伊勢 二見 小俣』によると、左側の建物は調理場で、昭和中期のものとあります。建物左右の様子が全く異なりますので、大改造をしたのかそれとも、場所が違うのかは不明です。

千秋楼鶴の間
千秋楼33.jpg
庭園より座敷を望む  千秋楼亀の間
千秋楼34.jpg
千秋楼庭園の一部
千秋楼31.jpg


〔参考文献〕
宇仁館「伊勢神宮参拝絵図」(チラシ)
         〔吉田初三郎画・観光社印刷〕

写真集伊勢編集委員会『写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣』
              昭和61年8月  国書刊行会
〔参考HP〕
秋田耕司様「近代伊勢参宮名所図会 月夜見宮~筋違橋周辺」
           (こちらをクリックしてください)
〔参考アプリ〕
三重県環境生活部文化振興課「伊勢ぶらり」


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