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鯛中鯛(鯛の鯛・たいのたい) [日記]

鯛中鯛(鯛の鯛・たいのたい)   
 魚の胸鰭付近の肩甲骨と烏口骨が繋がった状態のものを鯛の鯛といいます。和食屋さん等で魚のカマを頂いた時に発掘するようにしていますが、これらの骨は外れやすく、なかなか上手に取り出すことができません。(酔っ払っているという理由もありますが……。)
 最初は白色ですが、時間がたつにつれ飴色になってきます。
 四半世紀前、土器の実測用に購入した定規がこんな所で活躍するとは、思いもよりませんでした。
 今後ぼちぼち追加できればよいなと思っています。

鯛の鯛
鯛.JPG
職場の先輩に連れて行って頂いた名古屋市営地下鉄東山線上社駅近くのお寿司屋さんで頂きました。

黒鯛の黒鯛
黒鯛H291023まん.JPG
春日井市梅ヶ坪町「まん」さん

鮴の鮴(めばる)
鮴メバルH290310家.JPG
自宅

縞鯵の縞鯵(しまあじ)
縞鯵H290404ひら松.JPG
春日井市東野町「ひら松」さん

虎河豚の虎河豚
虎河豚H291208ひら松.JPG
春日井市東野町「ひら松」さん

寒グレの寒グレ
DSC07270.JPG
伊勢市桜木町「あつむら」さん
平成29年12月29日
あら炊きに入っていた魚です。大将には「寒グレ」と教えて頂きました。「グレ」とは「メジナ〔目(眼)仁奈〕のことで、関西での異名です。

カワハギのカワハギ
image1.jpg

春日井市東野町「兄弟」さん
平成30年1月8日
「魚偏」に「皮」または「皮剥」で「かわはぎ」と読むそうです。

鯖の鯖
image1.jpg
春日井市東野町「ひら松」さん
平成30年1月8日
しめ鯖を焼いて下さいました。ほんのり酸味がありとてもおいしかったです。

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花菱館 [伊勢の風景]

花菱館   
 宮後町にあった「花菱館」の写真を紹介します。
伊勢山田宮後町(花菱館)幸福大夫
花菱館.jpg
(原寸縦9㎝×横14㎝)
 大正元年発行の『宇治山田商工名人録』には
  (種別)     旅館
  (営業税)    38圓19銭
  (屋号又は商号) 花菱館
  (電話)     空欄
  (氏名)     幸福虎保
とあります。営業税については、山田駅前の宇仁館支店が103円85銭、中村屋が42円91銭、外宮前の宮崎館が40円35銭とあります。山田でも中堅の旅館だったと考えられます。
 『伊勢市史 近代編』によると、明治9年12月19日に三重県で起こり、愛知・岐阜両県にまで及んだ伊勢暴動によって幸福虎保の住宅が焼亡した、とあります。住宅の所在地は八日市場とありますので、明治初期は旅館と宅地は別だったのかもしれません。
 また、伊勢の郷土史研究家秋田耕司さんの『「御師」大研究中間報告』(こちらをクリックしてください)によると、「幸福虎保」は外宮御師のうち、神宮家(外宮御師の内2.1%)・権禰宜家(同6.4%)に次ぐ、三方年寄家(同10.8%)の家格だったそうです。
 なお、大正3年発行の『宇治山田商工名人録』には花菱館の記載がありませんが、理由等詳細は不明です。

〔参考文献〕

伊勢市   『伊勢市史 第4巻 近代編』   
                平成24年6月  
実業興信所 『宇治山田商工人名録』    
                大正元年・大正3年
〔参考HP〕  
秋田耕司様 『伊勢探訪記』

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聞き書き宇仁館の記憶 3 付 戦後のパンフレット [伊勢の風景]

聞き書き宇仁館の記憶 3 付 戦後のパンフレット   

 戦後に発行された宇仁館のパンフレットを入手しましたので、紹介します。画像をクリックすると拡大します。原寸はB5版です。

宇仁館チラシS30012.jpg

宇仁館チラシS30022.jpg
 表面に「近畿日本ツーリスト」とありますが、この名称になったのは昭和30年です。また、裏面地図中に「山田駅」(国鉄)とありますが、現在の「伊勢市駅」に改称されたのが昭和34年です。(いずれもウィキペディアより)従ってこの間に発行されたものだと考えられます。
 以下、宇仁館経営者の末裔の阿竹満裕様からお話しを伺ってきました。(聞き書き宇仁館の記憶1 2 と重複する内容もあります)

宇仁館

・空襲での全焼は免れた。
・館内にエレベーターが設置されていた。
・主に修学旅行生を対象に営業をしていた。
   筆者注:パンフ表面の御宿料も小学生から
書かれています。
・宇仁館食堂も併設していた。


別館弥次喜多楼(花月園)
・宇仁館本館の西隣にあった。(表面写真では右側)
 
千秋楼
宇仁館・弥次喜多楼・千秋楼の中では最も格が高い旅館であった。
・空襲での被害はなかった。
・瀟洒な作りで、釘隠しなども良質の部品を使用していた。

グリル宇仁館
宇治山田駅前の伊勢市観光文化会館の全身を「伊勢会館」とい
った。
   筆者注:昭和28年10月会館・昭和45年6月解体式
            (『伊勢市史 現代編』より)

・その西側(明倫商店街側)に「グリル宇仁館」があった。
・鉄板焼、ハンバーグなど洋食を出す店であった。
・観光文化会館建設にあたり、用地を売却した。

※ 筆者注
☆扶侶夢様よりコメントを頂きました。それをブログ本文に転載します。
 「『グリル宇仁館』の名前を今の時代に耳にするとは…懐かしくてついコメントを書いてしまいました。
 父が贔屓にしていて店のオーナーとも親しかったので、私もよく連れて行って貰いました。私が初めてステーキを食べたのが「グリル宇仁館」で、すっかり好物になってよく父にねだったものでした。洋食専門のようでしたが実はラーメンが隠れた逸品で、和風だし中華そばが主流だった当時としては斬新な鶏がらスープでした。 」

 とても貴重なコメントをくださいまして、誠に有り難うございました。

取材協力
名古屋市一社「ダイニングバー すし八丁」
店長 阿竹満裕様
応援ブログ http://sushihattyou.blog.so-net.ne.jp/ 

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十五楼 [伊勢の風景]

十五楼  

 尾上町にあった旅館「十五楼」を紹介します。

更新履歴
 平成22年12月 8日 現在の様子・庭園 追加
 平成29年 8月20日 奥庭 追加
 平成29年12月29日 現在の様子 追加

旅館(勅使齋館)十五楼 (電話長五六)
十五楼.jpg
『宇治山田市及鳥羽町付近新地図』明治44年12月28日発行
(画像をクリックすると拡大します)

 野村可通『伊勢の古市あれこれ』によると、十五楼は通称「五二会道」のすぐ南(jyugemu注古市街道から青葉台団地に上がる道・現在の三重県真珠のあたり)にあり隆盛を極めましたが、大正期に衰退し再興を図り一誉坊墓地北側に移転しました。しかし、再建がかなわなかったそうです。
 写真の掲載されている『宇治山田市及鳥羽町付近新地図』の尾上町の説明文には「虎尾山山上に五二会ホテルあり、山下に勅使齋館なる十文字屋あり」とあります。井沢武『伊勢みやげ旅寝之友』(明治23年)には「十文字屋(黒部かね)は十五とて第一位の上等旅館にして、毎年、御勅使の宿泊所なり、国道の右側にあり」とあります。また、坂本広太郎『伊勢参宮案内記』(明治39年)には「十五楼 勅使参向の定宿、清潔な上品なことは、何よりの証拠」とあります。従って、元は「十文字屋」と称していましたが、明治中期以降「十五楼(勅使齋館)」と呼ぶようになったようです。尾上町在住のO様のお話では、戦後もその場所の建物を「齋館」と呼んだことがあったそうです。
 門柱右側奥に写っている建物が五二会ホテルだと思われます。
 現在の様子を紹介します。(12月8日 写真掲載)
NEC_0003.JPG
平成22年11月28日jyugemu撮影
DSC07034.JPG
平成29年12月29日撮影

次に庭園の写真を紹介します。
伊勢山田旅館十五楼庭園 (長電話一五六番)
十五楼庭園.jpg
(画像をクリックするとほぼ原寸大に拡大します)
 電話番号が三桁になっていますので、先に紹介したものより新しい時代のものです。
(12月8日追記)
11月28日尾上町のO様に現地をご案内いただきました。この写真建物奥の石組みは、現在も残っているものによく似ていました。

平成29年8月20日追記
新たに奥室の絵はがきを入手しましたので掲載します。
伊勢山田旅館十五楼奥室 (長電話一五六番)
十五楼奥室.jpg
原寸 縦約9㎝×横約14㎝
上記の庭園と同じ表記ですので、同じ時代のものかもしれません。

参考文献
野村可通『伊勢の古市あれこれ』
       昭和51年3月 三重県郷土資料刊行

井沢武  『伊勢みやげ旅寝之友』
       明治23年4月 川島文化堂
坂本広太郎『伊勢参宮案内記』
       明治39年11月 交通益社
※『伊勢みやげ旅寝之友』『伊勢参宮案内記』は国立国会図書館『近代デジタルライブラリー』にて閲覧をいたしました。 

取材ご協力
伊勢市尾上町在住、尾上町の歴史研究家 O様


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宇仁館別館 千秋楼 [伊勢の風景]

宇仁館別館 千秋楼 

※平成29年8月10日新たな絵葉書を入手しましたので加筆します。

 八日市場にあった宇仁館別館の「千秋楼」を紹介します。このページの絵葉書をクリックするとほぼ原寸に拡大します。今回は、アプリ「伊勢ぶらり」を使用してみました。(詳細はこちらをクリックしてください)古地図と、現在地との比較が容易で、歴史探訪にはとても便利なアプリです。
 宇仁館発行のチラシには、「同(筆者注:宇仁館)別営千秋楼八日市場に有り。(外宮より西4丁)料理兼営にして関西に有名なる大建築にして、大広間二百畳敷・百畳敷きを始め大小十数室を有し、庭園には樹木多く幽邃閑雅にして離れ座敷より四時花の眺め良く、常に各大臣陸海軍の将星を始め貴紳の御来宿を賜う。(筆者により適宜旧漢字を改め、句読点を付しました)」とあります。

庭園より座敷を望む 千秋楼玄関
千秋楼01.jpg

千秋楼庭園の一部
千秋楼02.jpg
(以上2枚は絵画研究会印刷)

千秋楼亀の間(百畳敷)
千秋楼03.jpg

西離座敷及庭園 中庭より鶴亀両大広間を望む
千秋楼05.jpg

奥庭茶室   離座敷松竹梅の間
千秋楼04.jpg

伊勢山田割烹旅館千秋楼庭園
千秋楼06.jpg

現在の様子(平成26年1月11日撮影)
DSC01243.JPG
伊勢理容美容専門学校付近から網谷病院方面を望む

平成29年8月10日に入手した絵葉書を紹介します。

たとう
千秋楼30.jpg
千秋楼玄関
千秋楼32.jpg
 玄関の形が上で紹介したものと改造されています。『写真集 明治大正昭和 伊勢 二見 小俣』によると、左側の建物は調理場で、昭和中期のものとあります。建物左右の様子が全く異なりますので、大改造をしたのかそれとも、場所が違うのかは不明です。

千秋楼鶴の間
千秋楼33.jpg
庭園より座敷を望む  千秋楼亀の間
千秋楼34.jpg
千秋楼庭園の一部
千秋楼31.jpg


〔参考文献〕
宇仁館「伊勢神宮参拝絵図」(チラシ)
         〔吉田初三郎画・観光社印刷〕

写真集伊勢編集委員会『写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣』
              昭和61年8月  国書刊行会
〔参考HP〕
秋田耕司様「近代伊勢参宮名所図会 月夜見宮~筋違橋周辺」
           (こちらをクリックしてください)
〔参考アプリ〕
三重県環境生活部文化振興課「伊勢ぶらり」


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