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虎尾山見晴台 [虎尾山]

虎尾山見晴台

※平成29年8月6日、「清渓橋より虎尾山を望む」写真を追加しました。それに伴い、一部文章を訂正しました。

 皆様ご無沙汰しております。虎尾山の絵葉書を新たに入手したので紹介します。このページの画像は、クリックすると拡大します。

虎尾山見晴台より宇治山田市街の一部を望む
IMG_0001.jpg
(原寸9㎝×14㎝)
 
 これは虎尾山の中腹の広場から頂上へ上る階段から撮影したものです。中腹の広場の様子がよく分かる貴重な写真です。瓦葺きの東屋・ベンチがあります。
 また、市街中央の煙突は三重合同電気の発電所のものです。その右側少し離れたところに神都線の岩淵車庫が写っています。宇治山田駅はまだ存在しません。右下の細い煙突は錦水湯のものでしょうか?
 写真周囲の勾玉の絵はエンボス加工がなされています。
虎尾山開発前の様子
DSC05873.JPG
   平成20年1月4日、虎尾山開発直前にjyugemuが撮影したものです。現在は古絵葉書のように伊勢市街を俯瞰することが出来ます。

葉書表面
IMG_0004.jpg
 中央に「明治聖代戦役記念碑建設会発行」、下に「内閣印刷局内朝陽会製」(旧字は筆者が改めました)とあります。
 これは、次の絵葉書と同期に発行されたものです。

清渓橋より虎尾山を望む
虎尾山03.jpg
 こちらの絵はがきは、以前HP『星待月夜』で紹介されており(現在は拝見できません)、皇學館大学史料編纂所報『史料』第222号(平成21年8月)に掲載されています。
平成20年1月4日の様子
DSC05852.JPG

 今年(平成29年)に入り、この絵はがきは袋付きのセットでオークションに出ていました。この2枚のほか、記念碑の台座部分の写真があり、そこに何か書かれているようでした。入手を試みましたが、5万円以上の値段がついたため、断念しました。台座部に書かれていた文字がとても気になります。
 なお、明治聖代戦役記念碑(通称「きんとび」「ニャロメの塔」)は昭和3年4月に建設されました。


タグ:伊勢 虎尾山

明治聖代戦役記念碑会員章2 [虎尾山]

明治聖代戦役記念碑会員章 2

関連ページ 明治聖代戦役記念碑会員章1

 以前紹介したものと色違いの会員章を紹介します。徽章の意匠は前回のものと同じです。

箱 (写真をクリックするとほぼ原寸大になります)
記念碑章ケース.jpg
以前紹介したものとは違い、木箱です。

表面 (ほぼ原寸大)
記念碑章1.jpg

裏面 (ほぼ原寸大)
記念碑章2.jpg


映画『半分の月がのぼる空』と虎尾山(砲台山) [虎尾山]

映画『半分の月がのぼる空』と虎尾山(砲台山)

 映画『半分の月がのぼる空』伊勢の進富座で先行上映されています。4月3日(土)本日全国公開です。進富座でも引き続き上映されています。
 原作は伊勢出身の橋本紡さんです。

 3月31日、進
富座で拝見しました。内容については触れませんが、伊勢を堪能することができました。
 その後、虎尾山(作中では「砲台山」)へ行ってきました。中腹の手すりには沢山の絵馬が掛けられています。それを見ると何と……!(写真をアップしてよいのか分かりませんので現地でご覧下さい)

山頂の塔の土台部分
DSC00592.JPG
平成22年3月31日jyugemu撮影

 この虎尾山は、戦前「明治聖代戦役記念碑」が建てられ伊勢市街を一望できる公園となっていました。戦後荒廃の一途を辿っていましたが、近年、地元尾上町の皆様・伊勢のNPO法人自利利他の皆様・何よりも『半分の月がのぼる空』ファンの皆様をはじめとする多くの方々のおかげで、安心して登ることのできる場所となりました。
 
 虎尾山が『半分の月がのぼる空』の聖地として注目されることは伊勢好きの私にとってもとても喜ばしいことです。これがきっかけとなって、伊勢の古市街道周辺の活性化につながることを期待しています。
 
 本ブログは、『半分の月がのぼる空』とは直接的には関係ありません。しかし、虎尾山はこのような所だったということをご承知いただければ幸いに存じます。

 虎尾山関連記事をまとめました。お時間がございましたら、ご覧下さいますよう、お願い申し上げます。 

虎尾山再生計画                                                 自利利他様 虎尾山再生計画 こちらから私ブログにいらっしゃった方も多いと思います。

『半分の月がのぼる空』ファンサイト                                                     なぁー↓様 星待月夜    川上みけ様 Weblog of pikopiko   
                                                                両者とも『半分の月がのぼる空』について詳しく研究されています。舞台となった伊勢の風景を紹介なさっているだけでなく、伊勢に関する興味深い記事もたくさんあります。  

eco様 「砲台山への行き方」
宇治山田駅から虎尾山への詳細な地図を掲載なさっています。   

本ブログ 「いにしえの伊勢」虎尾山関連記事

虎尾山の名称について 
虎尾山11(伊勢参宮案内地図)                                       私の所蔵する地図・観光案内から虎尾山の地名について考察しました。

虎尾山から伊勢市中心部の眺め    伊勢の風景                                                     大正から戦前の伊勢市の風景の絵葉書を紹介しています。

虎尾山に建設された五二会ホテルについて  
伊勢山田五二会ホテルより伊勢湾を望む  
五二会ホテル 
 
五二会ホテル絵葉書      
五二会ホテルの遺構  五二会ホテルの広告 五二会ホテルでのかんこ踊

明治聖代戦役記念碑について(作中では砲台山山頂の塔) 
虎尾山の明治聖代戦役記念碑の建設年代について
明治聖代戦役記念碑会員章について 
金鳶像

その他、虎尾山についての記載がある古い観光パンフレット・絵葉書の紹介等、虎尾山関連記事 
                                                                                  虎尾山          10 11
聞き書き虎尾山の記憶 1

伊勢市内から虎尾山を望む
宇治山田駅近辺から   御幸通りから

古市街道について
古市散策   

古市街道にあった旅館について
油屋        両口屋     大安旅館

日赤山田病院
(当初は現古市のテニスコートの場所にありました)
日赤山田病院      


タグ:伊勢 虎尾山

五二会ホテル絵葉書2 [虎尾山]

五二会ホテル絵葉書2

関係ページ  五二会ホテル絵葉書 
         伊勢山田五二会より伊勢湾を望む   
         五二会ホテルの遺構  五二会ホテルの広告
         

虎尾山12「神都之栞」 五二会でのかんこ踊

五二会ホテル庭園の絵葉書を紹介します。
(裏面)
伊勢山田五二會ホテル庭園ノ一部
五二会11.jpg
画像をクリックするとほぼ原寸大に拡大します。画面左下の鶴は置物のようです。

(表面)
五二会12.jpg

画像をクリックするとほぼ原寸大に拡大します。

 2個消印があります。1つは局は不明ですが、「11.1.1 前0-8」、1つは「静?(岡か?)11.1.1 后4-6」です。「郵便はかき」(昭和8年から「はがき」)とあることから、「大正11年」の消印ではないかと考えられます。
 中央のマークも注目されます。
 なお、この庭園の写真は次の鞨鼓踊風景(其二)と逆方向から(北東から南西方向へ)撮ったものと考えられます。

鞨鼓踊風景(其二)
かんこ踊り02.jpg
 なお、「五二会でのかんこ踊」についての詳細は、こちらをクリックしてください。

続きはこちらをクリックしてください。


明治聖代戦役記念碑会員章1 [虎尾山]

明治聖代戦役記念碑会員章 

関係ページ 明治聖代戦役記念碑会員章2

 虎尾山の明治聖代戦役記念碑(明治聖代戦役=日清・日露戦争)の建設にあたっては、「明治聖代戦役記念碑建設会」が設立されました。その会員証を紹介します。なお、この記念碑は、近年「金鳶」「ニャロメの塔」と呼ばれています。

箱と会員章
DSC08581.jpg

表面 (ほぼ原寸大)
DSC08584.JPG
裏面 (ほぼ原寸大)
DSC08585.JPG 

 国立公文書館デジタルアーカイブスシステムで「明治聖代戦役記念碑」で検索すると「明治聖代戦役記念碑建設会に関する件(三重)」との件名で、記念碑に関する史料を読むことができます。このシステムについては、尾上町のO様にご教示いただきました。いつも様々なことをお教え下さいまして、有難うございます。

 この史料の43ページ「本会会員徽章雛形並ニ種別」に、写真と同じ絵と、会員のによる材質の違いの記述があります。一部を引用します。

  名誉賛助員徽章  純金製 綬付   
  名誉会員徽章    純銀製 綬付 
  特別会員徽章    銀製
  正会員徽章     金色
  通常会員徽章    銀色

 この史料から、写真の徽章は「通常会員徽章」だと考えられます。 

平成21年1月14日追記
  この史料について、近代以降の戦争について広くご研究をなさっている、Y様よりメールを頂きました。以下Y様からお教えいただきましたことを、掲載します。
 徽章は、この史料が作成された後、明治四十一年勅令第二百九十二號(勲章や、布告・勅令で制定された各種記章・褒章に類似した標章を佩用した者は拘留又は科料に処せられる)に抵触するとして、径を六分に縮小の上、綬を付けないようにと警告を受けているそうです。また、資金集めも順調ではなかったようです。従って、この史料通りに徽章が作られたかどうかは不明だそうです。
 Y様、ご指摘どうも有り難うございました。今後、Y様にもご覧頂き、さらなるご教示を賜りたいと思います。 
平成24年4月1日追記
  同じ意匠で、金色のものを入手しました。記事上部「関連ページ 明治聖代戦役記念碑会員章2」をクリックして下さい。
  
 

続きはこちらをクリックしてください。


神都博覧会会場より虎尾山を望む [虎尾山]

神都博覧会会場より虎尾山を望む(I様所蔵資料)  

 謹んで新春のお慶びを申し上げます。
 今年も「いにしえの伊勢」をよろしく御願い申し上げます。

 
先日、伊勢在住のI様より「神宮皇學館」昭和7年3月の卒業アルバムをお預かりいたしました。これには、伊勢の各所の風景の写真が多くあります。今後ぼちぼちと紹介していきます。
 最初に神都博覧会会場より虎尾山方向を写したものを掲載します。

神都博覧会から虎尾山.jpg
画像をクリックすると拡大します。

 神都博覧会(御遷宮奉祝神都博覧会 こちらをクリックして下さい)は昭和5年3月10日から5月10日まで行われた博覧会です。この写真の中央上端の建物が「五二会ホテル」そして、右側入場門のすぐ上に写っているのが「明治聖代戦役記念碑」へ上る階段だと思われます。

宇治山田駅から虎尾山を望む
FITDSC08612.jpg
平成20年12月31日jyugemu撮影

 宇治山田駅1番線ホームより撮影しました。アルバムの写真はもう少し北側(ロータリーや観光文化会館の辺り)から撮ったものだと思われます。住宅地の開発ですっかり風景が変わってしまいました。写真電柱のすぐ左側が「明治聖代戦役記念碑跡」、オレンジ色のビルの右上の辺りが五二会ホテルの跡地周辺です。
 なお、1番線の南側はバスが上がることができるようになっており、ホームから直接乗り換えることができました。残念ながら現在は使われていません。写真右下に写っているのが、転写台の一部です。


聞き書き 虎尾山の記憶1 [虎尾山]

聞き書き 虎尾山の記憶1

 伊勢市在住のI様とO様(O様は、近所のA様や、お医者さんで偶然お会いになった方からもお話をお聞きになっていらっしゃいます。)に虎尾山について伺ったこと、mixiで虎尾山について頂いた皆様の投稿をまとめて紹介します。なお、「・」の後は皆様のお話、→の後はjyugemuの私見です。

山頂の記念碑(元々は「明治聖代戦役記念碑」)の名称について
11450830[1].jpg (写真をクリックすると拡大します)

・尾上町を初め、明倫学区の方々は元々「金の鳶」と「の」を付けて呼んでいた。
・昭和3年生まれの御薗の方は遠足で「金鳶」行ったとおっしゃっている。
 →伊勢市内でも地域によって呼び方が違うようです。
・昭和40年後半に塔に「ニャロメ」の落書きがされてから「ニャロメの塔」と呼ばれるようになった。
 →戦前~戦後すぐ生まれの方は「金鳶」「金の鳶」、昭和40年代以降に生まれた方は「ニャロメの塔」と呼んでいたようです。昭和30年代に生まれた方は何と呼んでいたのでしょうか?

記念碑について
・記念碑の上部のマークの中央は赤く光っていた。(拡大写真赤丸内)
・発電機は塔(記念碑)の中の下部に置いてあり、電線は、内部のはしごにそって設置されていた。
・電飾は河崎や宮川からも見ることができた。
・塔の中央下部(拡大写真黄色枠より下の部分)には、塔の建立の関係者の氏名等が書かれた碑文があった。
・塔の前方には方位を表す表示があった。

次に、虎尾山や虎尾山にあった五二会ホテルについてのお話を紹介します。

虎尾山について
・虎尾山山頂に登る最初の階段(現在は宅地開発により壊されました)の右側には桜並木があった。
地元の人は、伊勢湾に珍しい船がくると虎尾山に上って船を眺めていた。地元の人々は登っていたが、観光客が来るような所ではなかった。
 →戦前や戦後直後の観光案内には「眺めの良いところ」として虎尾山が紹介されています。現在でもそうですが、観光としては行きづらい場所だと思います。
・山頂の塔の周りや、中腹の広場には砂利がひいてあった。

五二会ホテルについて(虎尾山の麓にあったホテル)
・五二会ホテルは昭和30年代団地造成のためつぶされた。
 →玄関とその後ろの建物は、川端町の「地蔵院」に移築されています。(詳細はこちらをクリックして下さい。)
・戦後の一時期は自由に出入りができ、柔道場として使われていた。管理人はいなかった。
・戦後は戦災で家を失った人の避難所として使われていた。2階までは人々が使用していたが、3階は立ち入ることができなかった。
 →大正天皇が泊まった「御座所」があったからかもしれません。
・五二会ホテルの正面玄関は東を向ていた。
・記念碑へ行く清渓橋を右手に、なだらかな広い坂道を登りきった所を右に曲がると建物正面がみえた。
・玄関の前に立派な松の木のある前栽があり車が方向転換せずに元の道に戻れた。

 今のところ、以上のような事をお聞きしています。このようなお話を伺うことができた、尾上町のO様、I様の有り難うございました。また、このお二人をご紹介下さった伊勢のNPO法人自利利他の理事長様にも感謝します。

続きはこちらをクリックしてください。


五二会ホテル絵葉書1 [虎尾山]

五二会ホテル絵葉書1

関係ページ  伊勢山田五二会より伊勢湾を望む   
         五二会ホテルの遺構  五二会ホテルの広告
         
虎尾山12「神都之栞」 

 以前より手に入れたいと思っていた、「五二会ホテルの絵葉書」にやっと巡り会うことができましたので、早速紹介します。画像は、クリックすると拡大します。なお、絵葉書の原寸は14㎝×9㎝です。

玄関
五二会01.jpg
 こちらの建物は、現在伊勢市川端町の「地蔵院」に移築されています。現在の様子はこちらをクリックして下さい。

市内眺望①
五二会03.jpg
 これは玄関の上の部屋から東方向を撮った写真です。(参考地図②)右端の三角の山が科伊吹山です。その左に建物が3つあります。右側が徴古館・左側が農業館だと思われます。中央の建物は、神宮文庫でしょうか?もしかすると神宮文庫の前に建っていた、撤下御物拝観所かもしれません。なお、虎尾山から貝吹山方向を写した写真は、こちらをクリックして下さい。

市内眺望②
五二会02.jpg
 これは玄関の上の部屋の前の棟から北方向を写したものです。
画像が不鮮明であるのが残念です。こちらの現在の様子はこちらをクリックしてください。(3枚目の画像です)

参考地図
07.jpg

絵葉書表面
五二会04.jpg

続きはこちらをクリックしてください。


金鵄像 [虎尾山]

金鵄像 (I様所蔵資料)

関係ページ  虎尾山明治聖代戦役記念碑の建設年代について 

 

 本日もI様の蔵にお邪魔をしました。神宮皇學館(現皇學館大学の前身)の昭和7年の卒業アルバムがありました。大学の正門や、八角講堂、精華寮など大学の写真がたくさんある中で、伊勢の町の写真も掲載されていました。(今後紹介していきます)その中に、何と虎尾山山頂にあった記念碑の写真がありましたので、紹介します。
 卒業アルバムをデジカメで撮った画像ですので、歪んでいる点はご容赦下さい。
 「明治聖代戦役記念碑 元帥伯爵東郷平八郎之書」とあります。この碑の建設については上記関連ページをご覧下さい。
 地元の方の話では、この記念碑は「金鵄(きんとび)」と呼ばれていたそうです。また、頂上の鵄の像は「本当に金色をしていた」とのことです。
 この記念碑の写真は、今までパンフレットや絵葉書など小さなものしか見たことがありませんでした。これだけ大きなものを見るのは初めてです。この写真を見たときは思わず大声で叫んでしましました。
 残念ながらこの写真では、記念碑の周囲の様子がわかりません。地元の方から、「記念碑の周囲には、お椀型の飾りがあった。」という話も伺っています。「このような話を聞いたことがある」といったことでも構いません。何かご存じの方がいらっしゃいましたら、是非コメントをお願い申し上げます。
 

閑話休題
 この日の午前中は、虎尾山の住宅開発説明会に行ってきました。
 様々な問題点が指摘されていました。
 開発の是非は業者の方の判断が優先されると思います。しかし、アクセス道路など工事にを行うためには、解決しなければならない深刻な問題も多くあるようです。説明会は今回が最後で、今後は自治会長さんと調整をするということでした。でも、まだまだ各戸の皆さんと対話をする会を設ける必要があるのではないかと強く思いました。
 虎尾山保存の観点からは、次のような説明がありました。
  ・清渓橋は欄干を移築保存する。
  ・埋蔵文化財が発見されたときは、行政と相談する。
  ・撤去する階段等の石材は、斜面の石垣として再利用する。
 この、説明会の後に金鵄像に出会えるとは、何という巡り合わせでしょうか?

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タグ:伊勢 虎尾山

虎尾山の記憶3 [虎尾山]

虎尾山の記憶3

関係ページ  虎尾山の記憶1   虎尾山の記憶2

 虎尾山へ登る階段について触れたいと思います。階段やそれに伴う側溝は石で作った後、上にコンクリートを流してあります。

石の上のコンクリートが残っている所


コンクリートが剥がれている所

 ずいぶん大きくて、立派な石が使われています。
側溝

 土に埋もれていますが階段に沿って側溝もあります。

おまけ
 山の中腹の広場へ行く階段右側(広場から見ると北側)の竹林の中に、何か建物の遺構がありました。そんなに大きいものではありません。いつ作られたものなのか、何が建っていたのかは不明です。

 
閑話休題
 清渓橋周辺に始まり、虎尾山には多くの立派な石材を使用して作られた石垣や階段があります。これらの構造物のほとんどは、今回の宅地開発でなくなってしまいます。それは仕方のないことだとは思います。しかし、昭和初期の伊勢の生き証人である階段や石垣の石をそのまま埋め立ててしまうのはとても残念なことだと思います。
 そこで、この石を上手く再利用できないかと考えます。例えば、山上の塔周辺の整備に使ったり、宅地造成によってできる崖の敷石の一部にしたりするということが考えられます。どうしてもコストの問題が出てきてしまうとは思います。そうであれば、少なくとも清渓橋周辺の石垣の一部を移築するなど、予算の許す範囲での保存が考えられないかなと思います。
 例えば、朝熊山山頂レストラン前の階段の石は神都線の敷石を再利用しているとのことです。(伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYさんのブログ『HASSY局長のハサカル日誌』「電車話② 神都線」による)
 
上に紹介したとおり、石をコンクリートで固めているため、実現には困難を伴うと思いますが、可能なラインでのご検討をお願い致します。

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