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宇治橋公園4 [伊勢の風景]

宇治橋公園4  

関係ページ 宇治橋公園     

 「宇治橋公園2・3」 (上の数字をクリックして下さい)に引き続き、戦前内宮前にあった
「参宮館」の絵葉書を「宇治橋公園」のパンフレットの説明文(青色)
とともに紹介します。なお、パンフレットの旧漢字はjyugemuが改めました。このページの画像をクリックすると、ほぼ原寸大に拡大します。

九、伊勢の神風……元の兵船を覆滅す
参宮館01.jpg

 弘安四年七月元の精兵十万、数百の兵船を列ねて我国に来寇した時畏くも亀山天皇には御震筆の宣命を伊勢神宮に奉らぜ給ひ身を以て国難に代らむと御祈祷遊ばされた、ある日神風俄かに吹き起り一夜にして元の兵船を悉く覆滅せしめ生きて還るもの僅かに数人、元をて再び我国を窺はしめず、神明の加護によリ国威を中外に宣揚したろ有名なる史実である、間口四間

十、宇治橋の景趣……今は廃絶した「網受け」
参宮館10.jpg
 豊臣時代から明治三十七年一月禁止される迄の長い間神橋宇治橋の下に立ち、伊勢参宮客の投銭を受けた綱受けは、当時参宮旅客の間に非常に興味深きもとして迎へられ、伊勢名物の一つに算へられれものである、今は其の面影をすら偲ぶよすがもない、その起原は戦国時代織田催長の臣鳥谷尾左京なるものが、綱笠を竹の先につけて投げ銭を乞ひ、世を渡つたに始まると伝へられて居る

十一、往昔のお蔭参り
    ……桜の名所、宮川堤の賑ひ橋
参宮館03.jpg
 お蔭参りは伊勢のぬけまいりをもいひて、江戸時代には熾んに行はれたものである、明和の御蔭参りは、交組の不便な時代にも拘らす、神都に群衆した参宮人は、一日二十万人を算へ、斯うした賑ひが数ケ月も続いて行はれたとは、当時の文献に載するところである、此お隆参リは後に団参となり、揃ひの衣装や花万燈などを持出して伎戯舞踊しつヽ、全国の津々浦々から伊勢へ伊勢へと賑やかに群衆したものである、間口三間半

十二、古市廓と伊勢音頭
      ……菊寿楼、杉本屋の舞台
参宮館09.jpg
 元文頃から参宮旅客の間にもて囃された伊勢音頭は今猶古市遊廓に其名残を留めて盛んに催されてゐろ、時代の変遷に伴ひてだんだん改善せられ、踊り子も非常に美化されるに至り、昔ながらの手振りを其まヽに伝へた情趣を写したものである、間口四間

十三、伊勢参りとお杉お玉
参宮館05.jpg
 伊勢参宮街道、間の山のお杉お玉は小さい小屋掛けの内で掻き鳴らす三味線、胡弓の音も賑やかに、節おもしろき歌を唄ひつつ、手振おかしく若い女が踊りながら、参宮旅客の投げ銭を乞ふたもので、其の起源は詳らかならざるもお杉お玉といふ二人の娘が親仇讐を探ねるために、伊勢大神宮に祈願しつヽ毎日参宮街道にうら若い身を曝して芸を売ったことに初まると伝へられてゐる、間口三間半

 


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コメント 3

京男

おはようございます。
貴重な資料ですね。
伊勢は昔からの心のよりどころだった。
お正月は人でいっぱいになりそうですね。
世界の暗さを吹き飛ばしてほしいものです。

by 京男 (2008-12-20 05:20) 

nd502

最近は昔ほど五十鈴川に硬貨が投げ入れられていないですね。
by nd502 (2008-12-20 06:54) 

jyugemu

京男さん、いつもお早いですね。
もうすぐお正月ですね。
賑やかな伊勢が復活してほしいものです。

nd502さん、有り難うございます。
御手洗(みたらし)のことでしょうか。
景気が反映しているのでしょうか?
お賽銭って昔から10円じゃなかったですか?
by jyugemu (2008-12-20 15:11) 

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